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SPECIAL INTERVIEWS

西向幸三さん

エフエム沖縄 放送制作部

西向幸三 さん (エフエム沖縄 放送制作部)
17歳へ。

本を読む。映画を見る。落語を聴く。
好きなものをたくさんつくる。

1972年(宜野湾出身)、浦添の高校を卒業後、ラジオ沖縄にてラジオパーソナリティーとして働く。その後カナダでのワーキングホリデーを経験し、帰国後、英語の勉強を継続するため基地内のメリーランド大学に進学。短大卒業の資格を取得後、エフエム沖縄に入社。以来、アナウンサーや番組制作を手掛ける。2010年にスタートした「ゴールデンアワー」が県内外のリスナーから支持を集め、2014年第51回ギャラクシー賞ラジオ部門?DJパーソナリティ賞を受賞。現在も人気番組ゴールデンアワー局長として絶大な人気を得ている。

  • 9

    高校時代の思い出を聞かせてください。

    暗黒の時代でしたね。中学時代は野球部のキャプテンもして、優等生だったんです。進路選択のときに、料理が好きだから浦添工業の調理科に進もうかなと思っていたんですが、進路の先生に「幸三、これからはコンピューターの時代だよ」とアドバイスを受けて、情報技術科への進学を決めたんです。あまりなにも考えずに???。高校に入学したら、自分が文系だったことに気づいて、
    電気基礎?二進法?なんなんだーとなって。部活にも入りましたが、お金がないのですぐにやめて、アルバイト三昧の高校一年生。高校を辞めようかとも考えましたが、浪人してまた高校受験をするリスクは高いし、どうにか自分の中で折り合いをつけて、高校卒業を目標に、勉強はろくにせずギリギリの成績で卒業できればと考えていました。
    優等生として生きるのが嫌になったというのもあるかと思います。これからは自分で人生を決めて生きよう、と決めました。失敗したら自分が責任をおうだけ、そう考えるようになったかな。
    ただ、本は読んでいました。授業中も好きな本読んで、図書館にもよくいましたね。

  • 9

    どんな17歳でしたか?

    17歳の俺はなんでもできると思っていました。世界を股にかけて活躍する人間に必ずなると。根拠のない自信ですが、私は根拠のない自信もっている人、好きでね。自信のない人よりも、自信がある人のほうが良いじゃないですか。自分はできる!そのうぬぼれを良い意味で持っていたなと思います。
    高校3年生のときに、天安門事件が起こり、ベルリンの壁の崩壊等、世界の出来事を目の当たりにする中で、報道の世界に惹かれ、新聞記者になりたいと漠然と思いはじめました。とにかくメディア関係の仕事に進みたいと。でも経済的な問題で大学進学は考えていなかったから、高校卒業でできるメディアの仕事がないかと思い、たまたま雑誌で見つけたラジオ沖縄のDJオーディションに挑戦しました。

  • 9

    今の仕事についた経緯を教えてください。

    補欠でひっかかって、運良くラジオ沖縄の仕事につくことができました。それはそれで楽しかったのですが、20歳のときに乳癌で母が他界しました。そのとき「俺はなにをやっているんだ?世界を股にかける男